価値観ってそもそも何なのか?
価値観とは次のように定義します。
価値観=自分が大切にしている考え・考え方のこと
人はそれぞれの価値観を持っています。あなたは家族と過ごす時間がなにより大事だと思っています。ある人は、同じ時間を過ごす仲間が何より大切だと言っています。
あなたの価値観・・・家族と過ごす時間を大事にしたい
ある人の価値観・・・仲間と過ごす時間を大切に思う
どちらも「価値観」を持っていることに変わりはありません。違いは価値をおく考えの違いです。家族と仲間を例にとってみれば、仲間より家族が大事だと思うのか、家族より仲間が大事だと思うのか、ということになります。
価値観はその人のこれまでの経験や体験によって形成されていくものだと思います。生まれた場所、育った環境、普段の生活パターン、家族特有の考え方や習慣、友人・知人との関係性、自身の性格など、多くの要素が積み重なり、織り込まれていくことで「あなたの価値観」ができあがっていきます。
そのため、価値観とは「絶対に〇〇だ」と言い切れるような正解があるものではないということです。つまり、この価値観だから良いね、この価値観はわるい、とマルかバツかで判断できるものではありません。
他人の価値観をあなたはどう感じる?
もしも、家族が大事だと思う考えの人が、仲間のほうが大事だと思う人を見ると、「え?家族でしょ、普通」となるのが一般的な反応です。一方、仲間が大事だと思う考えの人が、家族のほうが大事だと思う人を見ると、「家族もそうだけど、やっぱり仲間でしょ」と反応するでしょう。
ごくごく一般的に目にするのは、「自分の価値観以外の価値観に疑問を感じる」ということです。
- 何でそんな考えになるの?
- どうしたらそんな風に感じるのかな
- どうして、〇〇だと思えないの?
疑問を感じた後は「相手に対して不快感を持つ、いらだつ」といった行動をとってしまう場合が多いのではないでしょうか。
- 信じられない、そんなの人として間違っている!
- 意味が分からない、普通はこうだろうに
- なんか見てて可愛そう、こう思ったほうがいいのに
- それさ、普通じゃないよ
- 100人に聞いたって誰1人同じようには考えないね
どうしてもいらだってしまう原因とは?
自分と違う価値観を見たとき、疑問を感じ、相手に対して不快感を持ち、いらだってしまう原因はこれです。
- 自分の価値観以外は認めたくないという考え
- 自分が正しい、という思い込み
自分も以前はそうでした。利益をとるためなら協力業者に嘘をついてでも値引きをしていいという上司の価値観、とは反対に自分は「協力業者あっての利益だからできる限り還元するのが普通だろ」と心の中で葛藤がありながら仕事をしていました。
当然ながら上司に対して強いいらだちがありました。その時、同僚によく言っていたのが「普通はさあ、、、」という言葉です。「普通は」というのは、世間一般の人もそう思っている、という思い込みがあってでてくる言葉になります。つまり、自分は世間一般の人と同じ考えを持っている、ということをグチにだして主張していたわけです。
世間と同じ考えを持っているのだから、それとは違う価値観を持つ上司はおかしいでしょ、という理屈になっていきます。言いかえれば、「自分はみんなと同じ意見を持っている、だから正しい」ということです。その先に続くかくれた言葉は「そんな価値観、認めない」です。
認めない、という気持ちはどうして起こる?
あくまで個人の考えです。認めないという気持ちが起こる原因はこれなんじゃないかと思います。
自分の正当性を非難されている気がして許せないから
この考えにいたる原因も考えてみると、次の前提がないと「正当性が非難された」とは感じないはずです。その前提とは、「世の中は正解か間違いの2つしかない」という考え方です。
- その意見、間違ってるよ。だってさ、、、
- その考え、正しいと思う!
- この判断、間違いだったのかな
- 〇〇して正解だったな
何か問題にぶつかり、互いの意見を持ち寄ると少なからず「衝突」することがあります。話し合いをしようという名のもとに、「討論」をし始めるのです。意見がでれば賛成派と反対派に分かれ、どちらが「正しい」のかを焦点にして意見が飛び交うことってありませんか。
アイディアを出し合おう、と意気揚々と始めたミーティングも結果として「そのアイディアはうまくいくのか、いかないのか」を判断する場になってしまうこと、ないでしょうか。
人は自分の違う考えや意見を聞くと、「自分が正しい」ことを主張し始めます。感情の根っこにあるのは、自分の正当性が非難されて許せない、という気持ちではないかと思うわけです。どうにかして、相手にも自分の正当性を理解させたいという欲求が働くことで、自分と違った価値観に過剰に反応してしまうことになります。
どうしたら相手の価値観を認められるのか?
以外かもしれませんが、相手の価値観を認めるためにはまず「自分を受け入れる」ことが必要です。「自分をゆるす」とも表現できます。
- 今日からダイエットしようと決めていたのに、飲み会に参加してしまった
- こんなボンミスするなんて、情けない
- あんなにプレゼンの練習したのに、頭が真っ白になって何も言えなかった
- 年始にたてた目標がまったく守れていない、自分が嫌になる
- 男のくせに人前で泣くなんて
上記の感情は日常生活や仕事をしていれば感じるものだと思います。自分の思い描いた結果を達成できなかったとき、人は自分に対して「罪悪感」という目に見えない感情を抱くのではないでしょうか。
罪悪感というのは、負い目を感じていることが原因で起こる感情です。「何やってんだろう、わたし」「だめだなあ、おれ」と自分を否定する感情から引き起こされます。この感情は「自分は完璧でありたい」という願望が前提にあります。うまくいかなかったがために自分を非難するようになるのです。
しかし、非難することを非難し始めます。「こんなのわたしじゃない」「おれはこんなものじゃない」という認めたくない気持ちがふつふつと湧いてくるのです。
けど例え、頑張ってうまくいかなかったとしても、一生懸命に取り組んで思うような結果がでなかったとしても、いいじゃないですか。自分の性格が嫌いだと感じることもあります。どうしてあのとき言いたいこといえなかったかなあ、とか後悔することもあります。でも、すべてひっくるめたのが「ありのままのあなた」なんです。
こうやって自分のことを受け入れませんか?
自分のことを自分自身が受け入れ、認めてゆるす。これが、相手の価値観を認めるために必要なことです。自分を受け入れられない人が、相手を受け入れることはできないからです。
多くの人はこの事実を知りません。もし、知っていたとしても「自分を認める」ことができない人が多いのが事実です。ちなみに自分を認めることで得られるメリットは、相手の価値観を認められる以外にも数多くあります。
- 自分に対して肯定的になる
- 自分に自信が持てる
- 他人と比べなくなる
- 自分の良さを認識できるようになる
- 相手の良さを理解できる
- 相手の気持ちを感じることができる
- 感情的になることが少なくなる
- 相手の意見に寛容になる
- 相手に興味を持つ
- 違う価値観を聞いても受け入れられる
- 否定的な表現をしなくなる
- 主体性がつく
- プラス思考になる
- 自然体でいられる
- 自己嫌悪におちいることが少なくなる
自分を受け入れられないことは、自分のことを自分で押さえつけている状態です。受け入れることで押さえつけられているしがらみを解消していくことができます。きっと、自分を受け入れている人は相手が自分と違う価値観を話したときこう思うはずです。
「ああ、なるほど。そういう考え方もあるのか」
だから、相手に対して嫌な感情を持つこともなく、ただ相手に興味を持つようになります。なぜ、その考え方になったのか知りたくなったり、自分の意見を聞いたらどんな反応をするのかを見たくなったりするのです。
自分が否定されている気など少しも感じないはずです。
最初は頭で分かっていても、実行できるかといえば難しいと思います。ですが、一度理解してしまえば簡単です。これを実践しているかしていないかで、人生の質も大きく向上します。
知らない人は、小さなことで不機嫌になって言い争います。知っている人は、相手に興味を持てるから不機嫌にもならず、自分と違う意見に耳を傾けます。
あなたならどちらの人になりたいと思いますか。